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バンコクの空の下

【連載】バンコクの空の下vol.7 コロナ禍のはなし~バンコクに戻ります~

と暮らす読者のみなさま、サワッディー・ピーマイ・タイ・カ!

4月の中旬はタイのお正月、ソンクランです。以前こちらで、ソンクランについて書いたので、興味のある方は「バンコクの空の下 Vol.2」を読んでいただければと思います。 「ピー」は年、「マイ」は新しいという意味です。「ピーマイ・タイ」でタイの新しい年という意味になりますね。発音するときに気をつけていただきたいのですが、「ピー」は息の出ない「ピー」の音です。日本語にはない音というか、日本人が特に意識して区別しない音なのですが、タイ語では息の出る「ピ」の音と、息の出ない「ピ」の音があります。ティッシュペーパーなどを口の前にかざして発音するとわかりやすいと思います。息の出る「ピ」ではティッシュペーパーが息で動きます。息の出ない「ピ」の音ではティッシュペーパーは動きません。始めはなかなか難しいかもしれませんが、コツをつかむと、息の出る「ピ」と息の出ない「ピ」の音を使い分けられるようになるはずです。息の出ない「ピ」の音は「ビ」に似ているのですが、タイ語で「ビ」の音は存在するので、やはり息の出る「ピ」と息の出ない「ピ」と「ビ」の3つの音は区別して発音、聞き分けができるといいと思います!

この記事を書き始めたのはソンクラン前だったのですが、少しずつ書き進めているうちに、気づけばソンクランを過ぎてしまいました。すみません。でも、年という意味の息の出ない「ピー」は、年齢を言う際にも使うので、覚えて損はないはずです。数字の後にこの「ピー」を付ければ~歳という表現になります。たとえば私は34歳なので、「サームシッ(プ)・シー・ピー」となります。数字の前に年齢という意味の「アーユ」を言えば更に伝わりやすくなるはずです!

いつもなら賑やかに水かけ祭りが行われるソンクランですが、今年も去年同様コロナの影響でイベントが中止になったところがほとんどですね。ここ数日、タイでもコロナ感染者数が急増していて、暑いですが、外出時にマスクは欠かせません。本当に、私たちはいつになったらコロナ禍から解放されるのでしょうか。ワクチンが普及しきていますが、変異ウイルスに感染する人も増えていますし、全くどうしたらいいのでしょう。

余談ですが、先日、夫がおもむろに、「今日コロナのワクチンを打ってきた。」と言いました。タイでもまだ、なかなかワクチン接種は一般的ではないのですが、夫は囚人のための病院に勤務しているため、接種するに至ったようです。突然のことに驚きました。中国のシノバック製ワクチンで、打った当日は特に何もなかったようですが、二日目の夜から三日目にかけて、ワクチンの副作用なのか、倦怠感や頭痛、胸の痛みなどがあったそうです。今月末にまた2回目の接種をする予定ですが、何もないことを祈っています。 アメリカではずいぶんワクチン接種が普及していますね。Facebookで友人たちが次々に接種報告をしているので、すごいなあと感心しています。

今後、ワクチン接種者はタイ入国時の隔離期間が短縮されることになるそうです。接種していても隔離されなくてはならないのですね。タイに自宅があってもやはり外国人はホテル隔離必須です。コロナ以来、タイと日本の行き来が難しくなってしまい、切ないです。 「バンコクの空の下 Vol.6」では長男の夏休み(2020年3-5月)に合わせて日本へ一時帰国し、そのままコロナの影響で日本滞在が延びた私たちが、ようやくタイへ戻ることが現実味を帯びてきたところまで書きました。

長男は日本の保育園にも慣れ、楽しんで通っていましたし、次男は私の祖父母のアイドル。私自身も、久しぶりに日本で季節の移り変わりを感じられ、母の手料理を味わえ、日本滞在を満喫していたのですが、やはりいつまでものんびりはできません。私は「まあ、いいかな。」なんて思っていたのですが、母に背中を押され、タイに戻るための行動を開始しました。

私が動き出した2020年10月のタイミングでは、入国許可証(COE)を得るために、兎にも角にもまず、限られた特別便の搭乗券を購入する必要がありました。搭乗券を手に入れた後は10万米ドル以上、もしくはそれに相当する治療補償額で、新型コロナウイルス関連疾病治療費を付保することも記載された英文の海外医療保険証を入手するために保険に加入し、14日間隔離施設(ASQ)の予約も行わなければなりませんでした。COEが確実に取得できるかわからない状況で行わなければならないことが多く、まるで賭けのようで、それだけで私は正直、頭がパンクしてしまいそうでした。

普通に特別便のチケットを購入すると高額になるので、私はあらかじめ欠航になった場合に無料でフライト変更できる普通便のチケットを購入しておきました。JALの便で、往復6万円でした。ところが在東京大使館に問い合わせたところ、息子たちがタイ人であるため、“タイ人用”の特別便に搭乗しなければならないと言われ、それまでは外国人用のものも視野に入れていたのですが、変更できる日程が減ってしまいました。それでもタイ語、英語を駆使してなんとか3人分のフォーマットを記入し、無事、“タイ人用”の特別便にエントリーできました。

エントリーはできたものの、チケットの日程変更は後日タイ大使館によって行われるそうで、確実にその便に乗れるかどうかはいまいちよくわからないまま、COE申請のためになるべく安い海外医療保険、隔離ホテルを探しました。

ふだんは海外旅行保険になんて入らないでタイと日本を行き来していた私です。それなのに! バンコクに家があるのに、家から一歩も出ないこともできるのに、タイ人なら無料なのに(タイ人は無料でタイ政府が用意した施設に隔離されることができ、息子たちはタイ人なのですが、この場合は私が外国人だということで無理でした。)自腹でホテルに隔離されなくちゃならないなんて!どうして、どうして、どうして!!!

行き場のないイライラが募りました。 COE申請のためにはパスポートのコピー、ビザのコピー、航空券、申告書、英文海外医療保険証、隔離ホテルの予約確認書、タイ入国の理由を示した書類をすべてPDFファイルにして、タイ大使館にEメールで送る必要がありました。3人分やりました。

イライラ、もやもやしながらも、動き出すとなんだかんだ準備が整っていくので不思議です。 海外医療保険は英文で保険証を発行してもらわなければならず、さらにコロナ治療費付保も記載されていなければならないので、見つけるのがなかなか難しかったです。私のビザがタイ人家族ビザだったことも困難さを増す原因となっていました。ところが、ふと入った駅近の保険代理店に相談したところ、割安の商品を紹介していただくことができ、無事に加入することができました。

私の場合、リエントリーパーミットを持っていたのですが、ビザが8月に切れてしまっていたので新たに申請する必要がありました。ビザ申請には予約が必要でした。久しぶりの上り電車、久しぶりの東京にドキドキしました。何年振りかのタイ大使館は新しい建物に変わっていました。予約制でも何人かビザ申請に来た人たちがいて、「みんなこんな大変な思いをしながらタイへ行くのだなあ。」と感心しました。 特別便に確実に乗れることがわかる前にPCR検査も予約しました。私が利用したのは、割安だった自宅検査です。Eメールと電話で何度かクリニックとやり取りし、クレジットカードで代金を支払うと、ほどなくしてPCR検査キットが自宅に送られてきました。

フライト予定日の10日前ごろ、ようやくタイ大使館からCOEが添付されたEメールが届きました。タイ入国のためには英文のPCR検査陰性証明書と搭乗可能健康証明書の原本が必要だったので、フライトの72時間前に合わせてオンライン診療で唾液を採取し、大急ぎで宅急便で送りました。オンライン診療するためのアプリケーションがうまく作動しなかったり、唾液がうまく出てこなかったり、ひやひやしながらの検査でしたが、何とか終えることができました。搭乗可能健康証明書は事前に簡単な問診票を記入しておき、口頭で体調について少し話しただけで発行してもらえました。

何故かタイ人は搭乗72時間前のPCR検査を受ける必要がありません。息子たちはタイ人なので、必要なのは搭乗可能健康証明書のみでした。特に決まった書式はないので、大使館からのEメールに添付してあったものを参考にして自作しました。それを持参してかかりつけの小児科医の先生に書いていただきました。

台風で延期になってしまった保育園の運動会。なんとか、ぎりぎりタイに戻る前に参加できました。息子にやらせてあげたかった行事のひとつだったので、とても嬉しかったです。コロナの影響で規模が縮小されてはいましたが、年中さんの息子はかけっこ、障害物競走、そして組み体操と練習の成果をぞんぶんに発揮していました。 コロナのせいでなかなかできなかったお出かけも、乗用車移動で、私の両親と妹と息子二人と私の総勢6名で1泊2日の温泉旅行に出かけることができました。初めての温泉に次男は大泣き!念願の博物館に長男は大喜びでした。

日本にいるのが当たり前になったころ、タイに戻ることになりました。 11月18日。羽田発のお昼の便でした。次はいつ会えるのかな。送りに来てくれた両親の顔が涙でにじみます。でも次男を抱っこひもで抱っこして、背中にはリュック、長男の手を引いて、タイへ戻らなければなりません。 タイ人用の特別便はまさかの満席。7月末からタイ人用の便は毎月飛んでいたので、まだこんなにタイに戻りたいタイ人が日本にいたのかと驚いてしまいました。ソーシャルディスタンスを期待していた機内ですが、3人掛け座席で次男はずっと私の膝の上、隣は寡黙なタイ人のお兄さんでした。6時間のフライトは、長男は機内サービスを存分に楽しみ、次男は動きたがって大変でしたが、何とか乗り切ることができました。 次回、隔離されていたホテルでの日々について書きたいと思いますので、どうぞお付き合いください。

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